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盗まれた中国茶の製法

第51回 2014年02月
紅茶スパイの本

 最近イギリス東インド会社の歴史に興味沸き、九州の平戸からインドネシアのジャカルタ(旧バタビア)、コルカタ(旧カルカッタ)、ダージリン、バングラアデッシュのダッカへと旅行した。しかし友人が案内してくれた平戸以外は、現地ガイドの歴史的説明はお粗末で、大いに不満が残った。ダージリンへ行った際には、中国の緑茶と世界の ”喫茶”嗜好を二分する英国の紅茶がどのような経緯で出来たのか、不思議に思った。そると最近、それに答える面白い本に出会った。サラ・ロズ著の「紅茶スパイ」、How England Stole the World’s Favorite Drinks & Changed History である。(築地誠子訳)

カルカッタ植物園

 1848年イギリス東インド会社は、ロバート・フォーチュン(1812年~80年)なる植物学者をロンドンからカルカッタの植物園へ呼び、中国から、茶の詳細な栽培方法を学ぶと共に、苗木を盗み出すことを依頼する。
イギリスが世界各地に造る植物園は、単なる観賞用植物の栽培だけが目的ではなく、農場試験場を兼ねていて、世界各地にイギリスが設立する植民地のどの植物をどこで栽培するのが最も廉価で効率的かを研究するためだった。
茶は輸送するのに少量で高価なため国際商品として最良だが、栽培方法や苗木は、中国がすべて門外不出として海外へ出さない。価格の正当性も品質管理の状況も全く分からない。紅茶の木が緑茶と同じかどうかさえ、定かでなかった。そこでフォーチュンがこれらを盗みに行くという話である。

武夷山の岩茶

 フォーチュンは、ウォードの箱なる完全密閉したガラスケースに土と水を配し、種や苗木を入れることで、2,3か月の海外輸送が十分可能となることを知る。完全密閉して空気の流通が遮断されれば、植物は枯れてしまうと思うのだが、実際そうではかなった。水分は太陽の熱で蒸発し、夜間の冷気で元の水滴にもどる。植物は昼間、太陽光エネルギーを使って、水と空気中の二酸化炭素から澱粉等の含水炭素を合成し(光合成)、酸素を放出する。夜間は酸素を吸収して二酸化炭素をはき出す。植物は真空の中で立派に成長するというのだ。

ダージリン、ハッピーバレー紅茶園

 最初フォーチュンが持ち出した種や苗は、カルカッタに到着すると、ほとんど枯れてしまった。無知な職員が、わざわざガラス箱を開けてしまったからだ。しかし二度目の遠征で、遂に岩茶の故郷・武夷山に辿り着き、茶摘みから精製に至る中国伝来の生産過程をつぶさに観察し、多量の苗木を盗み出すことに成功する。搬出した数:なんと苗木13,000本、種10,000粒。苗木は上海で一旦土に戻し、生気を取り戻したうえで、苗木と種を11個のガラス箱に収納し、安全性を考慮して4隻の船に分割して輸送した。 これらはカルカッタ植物園を通じて、デリー北部・ヒマラヤ山脈中腹のサハランプル植物園やダージリンにも運ばれ、品種改良のうえ国際商品として育てられた。これをインドだけでなく、セイロンやアフリカへ持って行き、当時多量生産が可能な砂糖と併せることで、紅茶は世界的なブランド商品として成立したのだ。

ダージリン、ハッピーバレー紅茶園

 フォーチュンは武夷山で、緑茶の発色を良くするため、精製過程でプルシャンブルーなる有害物質と石膏を多量に混ぜていることを発見し、第一回ロンドン博覧会(1951年)でわざわざこれを展示し、中国産緑茶の喫茶に警鐘を鳴らした。
1840年代、イギリスは既に国際的貿易商品の開発と販売に関して、マーケテイング的発想で世界戦略を進めていたことに、改めて驚愕した次第である。

阿片積み出し箱 阿片積み出し箱茶

 イギリスが開発した国際商品は、紅茶だけではない。紅茶より150年も早く、莫大な利益と歴史上重大な影響をもたらした商品があった。阿片だ。イギリスは絹や陶磁器、茶の輸入による中国貿易の膨大な赤字解消を狙って、植民地・インドで阿片栽培を始める。
彼らは品質管理のために、厳重な専売制をひいた。ケシの栽培に適した土地で、政府の許可を得た農家だけにケシの栽培を許し、収穫した阿片は全量政府が買い付ける。集められた阿片の品質は、工場で厳重にチェックする。泥やゴミ、焼畑農法による灰などの混入物の排除から始まり、含有水分量、香り、色艶、粘度まで念入りに精査された。

武夷山の岩茶

 阿片は中国で、健康上甚大な被害をもたらした。一方紅茶や緑茶など喫茶の風習は、未だ医学の進歩や医療の未十分な世界にあって、人々の健康増進にどれ程役に立ったか知れない。産業革命以降生みだされた多くの工場労働者は、酒を飲むよりお茶を飲むことで、品質向上や生産効率化という点でも、産業発展に極めて望ましい貢献をしたのだ。

 話をフォーチュンに戻そう。彼はその後江戸時代の日本にもやってきて、英国の観賞用植物として未だ知られていなかった多くの植物を運び出し、多大の利益を上げた。こうした人々は、プラント・ハンターと呼ばれた。当時日本では、既に植木や観賞用植物が立派な商品となっていて、大規模な植木市や多くの植木商、植木職人が存在した。多種多様なガーデニングの本も出版されていて、この点、英国以上に先進国であった。大名屋敷の見事な庭園を見るまでもなく、庶民も小さな坪庭や路地裏にさえ、各種の愛玩用植物を植え楽しんだ。幕末に日本を訪れた多くの外国人は、こうした日本人の自然志向をみて、驚嘆したことがよく知られている。

フォーチュンの著した「幕末日本探訪記―江戸と北京」は、1860年~61年に来日した時の記録だが、あまり面白くない。事実の記録だけで、ジャーナリステイックな視点が欠けるからだ。サラ・ローズの著したフォーチュンの話は、現在世界中で愛される商品としての紅茶の成立過程を、背景となる時代と共に語ることで、興味深い読み物となっている。

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