上海お役立ち情報

Shanghai Useful Information

“太陽の帝国”を探せ(2)

第48回 2013年01月

バラード邸は何処にあったのか

新華路地図

 前回“太陽の帝国を探せ(1)”で、我々は彼の小説と映画について見てきた。しかし我々“上海おたく”は、それだけでは満足できない。バラード一家の住宅があったAmherst Road 31-A号は何処なのか?龍華収容所は何処にあったのか?我々の捜索が始まった。

 Amherst Road(安和寺路)は、上海交通大学の北側を斜めに走る現在の新華路で、直ぐに見つかった。上海散歩のブログで有名な井上洋氏にも応援を頼むと、奇しくも彼は、今“太陽の帝国”を読み直しているところだと言うのだ。彼はわざわざ現地に足を運んでくれたが、31号にそれらしき屋敷は見つからない。上海歴史ガイドマップ(旧版)にもバラード邸は記載されていなかった。(2011年に出た増補改定版には、26新華路の頁に始めて記載された。)

SH508

 バラードの自叙伝“人生の奇跡”には、一家の住宅の写真が載っていた。それと似た建物が、以前私が“外国弄堂”と呼ばれた地域で撮った一枚の写真にあった。しかし撮影された角度が本の写真と違っていて、これがバラード邸とは確認できない。井上氏が現地で確認すると、私の写真の建物は新華路と交差する番禺路508号にあり、新華路にはいないという。行き詰まりだ。

 すると、井上氏から更なる朗報が届いた。彼はネット上の英文情報に、バラード邸の話が載っていると言う。バラードは英国人作家だから、当然英文情報の方が詳しかったのだ。驚いたことに、英語圏にも我々のような“上海おたく”がいて、バラード邸を探していたのだ。私が以前、趣のある住宅として偶然撮ったあの写真は、間違いなくバラード邸だったのだ。ではバラードのいう道路と番地が違うのは何故なのか。ここからは英文ブログにあるRick McGrath氏の探索結果を辿ってみよう。

Peter Eriggの探索

 カナダ・オンタリオ州Guelph 大学のPeter Erigg教授は、以前から大学の講義用にバラードの批評を書いていた。彼が上海のInt’l Institute of Economic Management(同済大学のMBAか?)で教鞭をとっていた1984年に、“太陽の帝国”が発刊された。そこで英国のバラードにお祝いの手紙を書いたのだ。

 するとバラードから返事が来て、逆に上海の現状を訊いてきた。上海は戦後大きく変貌したに違いない。彼が少年時代に過した住宅や収容所、龍華飛行場は、今どうなっているのか。いつか訪ねてみたいと考えていたが、未だに果たせずにいると言う。彼は40年前のおぼろげな記憶から、彼のいたかつての住宅は Amherst Avenue 31-Aで、近くには、Columbia Road とAmherst Avenue、Rockhill Avenueが交差する三角地帯があったとして、付近の略図を書いてきた。彼の一家が収容された龍華収容所(Lunghua Civilian Assembly Centre)は、龍華飛行場の真南にあったという。Peterはこれを確認するため、既に帰国していたカナダから婦人と共に上海にやって来た。

旧バラード邸への小道

 Amherst Rd.(現・新華路)からバラードの地図にある細い路地を入っていくと、確かに旧バラード邸らしき建物があった。しかし壁にある門は閉ざされていて、敷地には入れない。そこで表のColumbia Road(現・番禺路)側に廻ってみると、道路に面して門が開いていた。中の建物にいた中国人に訊くと、そこは工場機械のマヌニュアルを収納する会社の倉庫になっているらしい。彼は中庭から建物の写真を撮って、バラードに送った。バラードは、そこが正に彼が昔住んでいた家だと確認したのだ。但しAmherst Rd. から入ってくる小道にも、住宅の近くにも、当時は写真のような大きな樹木はなかった。代わりに2台の車を収納していた煉瓦積みのガレージがなくなっていると伝えてきた。Amherst Rd.から入る元もとの門は閉鎖され、今は広いColumbia Road側に新たな入口が設けられていたのだ。それで住所が、番禺路508号に変わったのだ。

 Peter Eriggは、バラードが尋ねる龍華寺の塔や龍華飛行場も訪ねた。龍華寺の塔は2マイル(3.2キロ)ほど離れた龍華飛行場を守るため、日本軍が塔の上に多くの対空高射砲を設置した。“太陽の帝国”には、夜間の砲撃が始まると、塔はクリスマスツリーの様に輝いたと書かれている。龍華収容所は飛行場から見ると、現在の龍呉路と上海植物園を越えた南西にあった。

 Peter Eriggは多くの写真をバラードに送り、上海の現状を伝えた。数々の昔の思い出が立ち上ってきた。バラードは昔と余り変わらない上海の姿に不思議な感動を覚えつつ、上海を再訪する日を待ったのだ。

バラードの上海再訪

旧バラード邸マントルピース

 1991年BBCがバラードの生涯と作品についての番組を制作することになった。彼は撮影隊と共に、遂に45年ぶりの上海に戻ることになった。バラードを載せた航空機は虹橋国際空港に着陸する。そこはかつてジェイミーが放置された中国軍戦闘機のコックピットに座り、飛ばした模型飛行機の後を追いかけて日本軍に遭遇する話のあの飛行場だ。

 彼はヒルトン・ホテルに泊り、かつて自転車で走りまわった上海の街を見て廻った。どこへ行っても、思い出が彼を待ち受けていた。旧フランス租界のアール・デコの住宅は、ゆっくりと解体されつつある舞台セットのように見えた。彼の家は、国営の電子部品会社の図書室として使われていた。三階は家具がすべて除かれ、海外の新聞や雑誌が詰め込まれた金属製の本棚が一面に並べられていた。それ以外は何も変わらず、バスルームの便座シートさえ同じだった。

バラードと龍華収容所

 旧龍華収容所は上海中学になっていて、昔の建物はほとんど残っていなかった。バラード一家がいたG棟はかろうじて残されていたが、かつて彼の母がPride & Prejudiceを十回も繰り返し読んだベッドの周りには、ゴミが詰め込まれていた。昔の収容所は、もはや彼の心の中にしか存在しなかったのだ。

Rick McGrathの探索

SG508とMcGrath

 2006年Peter Erigg教授はRick McGrath 氏に会った際、彼に旧バラード邸の写真とバラード本人からの手紙を見せた。ここからRick McGrathの“太陽の帝国”探しが始まる。多くのバラード愛好家が彼に協力した。

 Rickは先ず、バラードの書いたバラード邸の略図を頼りにGoogleで検索すると、旧バラード邸だけではなく、龍華寺塔、龍華飛行場、収容所の衛星写真が出てきた。それらをバラードに送り、ネット上にも公表した。Rickは婦人と共に、2007年9月に上海に来ることにした。

 すると上海に住むSimon Sellarsが、旧バラード邸は現在SH508というレストランになっていると伝えてきた。彼は上海に6年も住んでいて、バラード邸が自分が住む家の直ぐ近くに在ったことを知らなかった。

SH508餐庁食堂

 上海では、Andy BestがRickに同行した。旧バラード邸は、レストランになったため、バラードが訪れた時より、更に改装が進んでいた。1階部分はさほど大きな変更がなかったが、2階には東西にぶち抜きの細長い部屋が作られ、1階から3階までの階段を新たに加えたりしていた。レストランの女性マネージャーは、バラードについて何も知らず、二人はこの家の歴史的価値を説明したうえで、英文の広告用コピーまで書いてやった。

龍華寺塔 001

 Andyによると、龍華寺の塔は昔のものではない。1960年代文革中に破壊され、1990年代に2キロ離れた現在の場所に再建されたのだと言う。元の塔は、龍華飛行場の滑走路が草原を越えて斜めに延びた端に立っていた。ジェイミーは、古い塔のテラスに配置された対空高射砲や、滑走路を照らす強力な探照灯、瓦屋根に張られた無線アンテナを眺めたが、それらは塔と共に消えうせていた。昔の空港の建物は殆ど撤去され、RickとAndyは、見知らぬ古びた航空機が3機、炎天下にフェンスに繋がれているガランとした空間を眺めるだけだった。

 飛行場の脇を通る上海・杭州鉄道の錆びた軌道は、今もそこにあった。二人は、飢えて弱り果てた収容者が、よろよろと軌道の土手に沿って北へ移動した姿を心に描いた。

上海中学・旧龍華収容所Fブロック

 上海中学となった旧龍華収容所は、バラードが1961年に訪れた時と同様に、昔を偲ぶものは殆どなく、入口から構内を眺めるだけだった。Rickは1945年当時の広大な収容所の諸施設を手書きした地図を見つけて、バラードに送った。後年この学校に奉職したGrey Bainesは、G棟が取り壊された跡の敷地で見つけた煉瓦の塊を、消え去った建物の記念としてわざわざRick へ送り、彼はそれをバラードに届けた。

上海中学

 井上洋さんは、上海中学(上中路400号、中高一貫教育)のことをよく知っていた。後藤裕一郎氏は、ここが彼のお嬢さんが通った学校だと気がついた。上海の駐在員の師弟で、日本人中学を卒業した多く学生が、現在この学校の国際部(高等部)に通っているという。

 ところで、最後に龍華収容所の人々が集められたサッカー場は、どこにあったのだろうか。万博会場となった元の造船所辺りと推測されるが、バラードは具体的な場所もヒントも残していない。彼の創作だったのか?どなたか分ったら是非教えて欲しい。

 小説とはいえ自伝的要素の濃い“太陽の帝国”を読むと、我々は当然、ジェイミーとバラードを重ねて考える。そると、彼が通常の生活環境とはおよそかけ離れた上海の過酷な現実の中で、必要な知識と生きるすべを身に着け、逞しく成長していったことに、驚嘆する。それは正に奇跡としか言いようがない。その経験を基に作家として彼が成長していったのも奇跡であり、3人の子供に恵まれて、初めて創造の喜びを感じたのも、奇跡だったのだ。それ故に彼は、自叙伝の題名を“人生の奇跡”とした。

 彼はフィクションの世界を通して”現代化”とは何か、それが行き着く先は?そこに内在する恐ろしさとそれを引き起こす誘因について追求したと言われる。生活のあらゆる面で中産階級化が進み、抑圧され屈折した様々な心理が鬱積していく。電子技術の発展とは裏腹に、人々の間で疎外感が増してくる。人々の精神が、郊外の中産階級化していく中で、技術も平準化して、誰でも手の届くようになっていく。彼はその典型を、2009年4月亡くなるまで50年近く暮らした Sheppertonの街に見ていた。

 しかしそうした一見静かで安定した中産階級の郊外生活は、一方で狂信的な人間がメールオーダで購入した機関銃で突然地域のショッピングセンターを破壊するような危なさをも秘めていると、バラードは言うのだ。我々は将来も、ジェイミーの様に勇気を以って生き抜くことができるのだろうか。現代の安逸な生活に慣れた我々は、いつ壊れるか分らない脆弱な基盤の上に暮らしているのかもしれない。

馨悦会所、旧バラード邸

(番禺路508の旧バラード邸は、現在更に名称が変わり、謦悦会所(Xinyue508)という高級レストランとなっていると内山博文氏が伝えてくれました。)

上海東方和平国際旅行社有限公司 島根 慶一島根 慶一
プロの旅行業者が見る、観光BOOKには載っていないもう一つの上海をご案内しています。