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“太陽の帝国”を探せ(1)

第47回 2012年10月

 上海に住むようになって、私は友人から“映画・太陽の帝国は見たか?面白いぞ“と何度か聞かされた。終戦時の上海の物語だと言われたが、題名から思い浮かぶのは、SFの宇宙戦争か、南米アマゾンやアフリカ大陸の冒険物語で、全く上海と関係がありそうもない。しかも1986年製作の古い映画で、今は上映されていない。そこで半信半疑のまま、映画の原作であるJ.G. バラードの小説を読むことにした。

J.G.バラード・人生の奇跡

 確かにこれは、終戦時の荒廃し極限状態の上海で成長していく元気な少年の物語だが、単にそれだけではない。バラード独特の心象風景が随所に現れる一種の心理小説のような趣があった。水の抜けたプールや放置された滑走路、更には題名の“太陽の帝国”自体が、長崎の原爆投下の閃光をみる彼の心理的イメージではないのか。

 2010年には「人生の奇跡」と題するバラードの自叙伝が発刊され、彼の作家としての原点が子供のときの上海での経験にある事が解き明かされた。正にその経験の全てが、“太陽の帝国”に描かれているではないか。するとタイミングを合わせた様に、チーラ会の後藤裕一郎氏が“映画・太陽の帝国のDVDを入手した。皆で見よう”と言い出したのだ。こうして私は、小説、バラードの自叙伝、映画と揃って見ることになり、初めてJ.G. バラードなる作家を知ったのだ。

太陽の帝国DVD表紙

 映画は、第2次大戦後初めて外国映画として中国ロケを行なったもので、1986年ワーナーブラザーズ製作、スピルバーグ監督。5000人ものエキストラが出演し、中国人民解放軍兵士が日本陸軍将兵を演じた。伊武雅刀、山田隆夫、ガッツ石松らの日本人も出演していた。先ずは、その物語からみてみよう。

太陽の帝国

 1942年の上海。イギリス租界で生まれ育ったイギリス人少年ジェイムズ(通称ジェイミー、14歳)は、太平洋戦争開戦と共に日本軍が上海のイギリス租界に侵攻した際、逃げ惑う避難民の大混乱の中で両親とはぐれる。独りぼっちになった彼は、アメリカ人脱走兵:フランクとベイシーに救われる。彼らはクリークや水路に放置された死体から金歯を抜き取っていたのだ。

 その後上海の連合国国籍の住民を収容した龍華収容所に入れられ3年間を過す。ここは1937年第二次上海事変の戦闘で爆撃され、半ば廃屋のような建物で、2千人近い人々がひしめき合って暮らしていた。ジェイミーはヴィンセントという若いイギリス人夫妻と6歳の息子と相部屋となり、年中狭いベッドの境界線を巡り争奪戦を演じることになる。

 収容所には、ありとあらゆる人間がいた。英国人以外にもオランダ人、ベルギー人、建築家や企業家、拿捕されたアメリカ貨物船の乗組員、子供達までいたのだ。上海カントリークラブの事務長、キャセイホテルの料理長、ランサムやボウエンなどの医者もいた。皆が生き抜くためには、何でもやった。ランサム医師はジミーに、たんぱく質を補うためにゾウリムシを食うことを勧めるのだ。キャセイ銀行支配人は、龍華劇団の座長となり芝居を上演じた。ベイシーは、ビスケットの空き缶に詰めた何百ものコンドームを、ポーカーのチップ代わりに使っていた。

 ランサム医師はジェイミーに、ラテン語やフランス語、理科や連立方程式を教えてくれた。リーダース・ダイジェストやライフなどの雑誌は、いくら古くても貴重で、ジミーはあちこちで手に入れた盗品と交換し、むしゃぶるように読んだ。瓦礫の街を自転車で自由に走り廻るのは、危険ではあるが楽しかった。皆が飢えと病気、戦争の恐怖、死や絶望に囲まれる中で、ジミーはそれら戦争がもたらす現実をありのまま受け入れ、収容所内の雑多な人間と交わりながら、世間の様々な知識と経験を身につけていく。

 ジェイミーは、しばしば日本軍が管理する収容所近くの龍華飛行場にも忍び込んだ。フェンスの鉄条網を潜リ抜け、背丈ほどに伸びた草むらを抜ければ、滑走路まで出られたのだ。ここでジェイミーは、飛来する日本軍のハヤテや零戦をみて憧れる。しかしやがてムスタングやB29が飛来し、空の要塞のように堅固な雄姿に圧倒される。草むらでは、特攻隊として出撃する少年兵に会うこともあった。

 終戦が近づくと、収容所の全員が北方の造船所跡に移動することになった。スーツケース一個にボロの寝具を抱え、乞食のような集団がよろよろと足を引きずり移動する。途中で力尽きた者は、荷物と共に置き去りにされた。1940年蒋介石婦人・宋美齢の命令でオリンピックを誘致するため建設された上海郊外のサッカー場に着く。そこには日本軍が上海中の西洋館から集めた高級家具や絨毯がグランド一杯に山済みされていた。ジェイミーはここで、長崎に投下された原爆の閃光を見るのだ。

 体力の限界に達したジェイミーは、当てもない未来に向けて歩き続けるのを止め、皆と別れ一人元の収容所へもどる。やがて憧れのB29が投下した食料を拾い上げ、生き延びることが出来た。日本の敗戦とともに彼はやっと両親と再会し、帰国することとなったのだ。

作家・J.G. バラード

幼年時代のJ.G.バラード

 J.G. バラードは、1930年11月15日、上海総合病院で生まれた。父親は、China Printing & Finishing Co.上海支社の、浦東地区にあったランカシヤー織りの工場長だった。上海在留の英国人協会の副会長も務めた。一家は上海市内安和寺路(Amherst Avenue)31番地にある三階建て、木骨煉瓦造りの庭園住宅に住んだ。家には白系ロシア人の子守や夜警などを含め10人の使用人がいた。父親はここから浦東の工場まで、運転手付きのベンツで通った。黄浦江では父親の会社の船が待っていて、河に浮かぶ何十もの死体を避けながら渡った。街中の汚水は、そのまま悪臭を放つ黄浦江に流れ込み、街では工部局のトラックが、毎日路上で餓死した中国人の死体を集めていた。Park Hotel(現・国際飯店)の前には、毛皮のコートで身をかためた売春婦が列をなしていた。その一方で、フレンチ・クラブでの結婚式や、皆が着飾るって集まる上海競馬場のレース、英国大使館で行われる公式行事など、上海租界社会のフォーマルな生活があった。

 バラードは、14歳で男子校・カテトラルスクール(大聖堂学校)の年少部に入学するが、1943年3月、父母と共に龍華収容所へ収監される。1945年9月、日本敗戦と共に解放され、母と妹と共に英国に帰った。

 小説「太陽の帝国」は1986年に出版され、バラードの過去のどの本よりよく売れた。小説はバラード自身の上海での実体験に基づいてはいるが、実際と異なる点もあった。バラードはジェイミーのように家族と離れ一人収容所にいたのでなく、父母、妹と一緒だったのだ。小説では、戦争と収容所生活の中で思春期を迎えた少年・ジェイミーの視点で、1943年~45年の上海の不潔と残酷、汚泥にまみれた死と隣り合わせの巨大なスラムのような上海が余すところなく描き出された。バラードはここ上海で、赤裸の人間の原点を見たのだ。あらゆる虚飾を剥いで、生死をさまよう人間の本性を見据えたことが、彼の作家としての原点となった。父の故郷・英国に始めて行ったバラードにとって、そこでの生活は、未だに階級社会の偏見を引きずった、虚飾と欺瞞に満ちたうわべだけの世界に見えた。彼は今まで教えられ信じてきた英国は、完全な幻想だったと悟った。彼は英国には馴染めず、孤独と寂寥感の中で生きることとなる。

J.G.バラードと子供達

 彼は1946~49年、英国のパブリックスクール・レイズ校に通った。1949年10月、ケンブリッジ大・キングス・カレッジに入学し、3年間医学部で解剖学、生理学、病理学を学ぶ。死体解剖の際の各種の死体への謎めいた感情は、彼の小説を繋ぐ糸となる解剖学的なイメージを与えることとなった。更に1951年10月、ロンドン大学クイーン・メアリーカレッジに移り英文学の学位をとった。

 彼は興味の赴くまま、広告代理店のコピーライター、花屋の運搬人、百科事典のセールスと何でもやった。小説の中で見られるように、航空機への興味に魅かれる彼は、英国空軍の短期訓練兵として、カナダの空軍基地で飛行訓練も受けた。そして次第に現代科学と人間心理をテーマにしたSF作家となっていく。

 1955年メリー・マシューズと結婚、二人の娘と男の子を授かる。しかし結婚後わずか8年、メリーは幼い子供達を残して盲腸炎手術後の感染症で他界してしまう。それ以後彼は父母の二役を演じ、一日の長い時間を子供達と共に過ごすこととなった。長い間、戦争と破壊、無秩序で無機質な世界しか見てこなかった彼の眼には、可愛いい子供達は“奇跡”としか思えなかった。彼は子供を得て、生涯で初めて創造的な仕事に携わる思いがしたのだ。子供の眼を通して彼自身の上海経験を語る“太陽の帝国”は、正にその経験から生まれた。

J.G.バラード旧居

 “太陽の帝国”の出版から2年後、スティーブン・スピルバーグ監督の映画が出来上がった。映画の撮影の大部分は、上海だけでなく、龍華収容所のオープンセットが作られたスペインで行われた。Amherst Avenue のバラード邸は、ロンドン西部のサニングデールの三軒の家で撮られた。広いサニングデールの住宅は、調度品もドアノブも、窓枠も、不気味なほど実物そっくりだったとバラードは言っている。何故なら上海の家自体が、元々サニングデールのチューダー様式をモデルに建てられていたからだ。

 幼年時代のJ.G.バラードと、J.G.バラードと子供達、J.G.バラード旧居の写真は、東京創元社発行“人生の奇跡”による。

“太陽の帝国”を探せ(2)に続く。

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