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和平飯店とSir Victor Sassoon その1

第31回 2010年02月
和平飯店旧写真

黄浦江に沿って建つ外灘の古典建築群の中でも、和平飯店は数々の伝説に彩られ、最も注目される建物である。それは正に上海のランドマーク、上海を象徴する建物なのだ。既に多くの紹介記事が書かれてきたので、この上何か新しいものを加えることの困難を感じている。しかしそうであれば尚のこと、上海の歴史を語る上で省略することは出来ないではないか。そこで、和平飯店の建物と、そこに君臨したSassoon一族の物語を3回に分けてお伝えしたい。

Cathay Hotel/Sassoon House(現・和平飯店北楼)は、当時上海最大のコングロマリット・サッスーン帝国の本拠として、サッスーン家第4代頭首・Victor Sassoon卿により建設された。それは、248万両銀という巨額の建築資金で建設したアールデコ様式の建築で、高さ72m、11階建て。パーマー&ターナー設計事務所により1929年に竣工した。青いピッチを塗った急勾配の屋根を持つ極東で最も高い建物として、また外灘で最も早く建った摩天楼として国内外にその名を轟かせた。1階~4階には事務所とショッピング・アーケード、2軒の銀行が入った。3階は、ヴィクター卿が統括する彼の帝国・サッスーン会社(E.D. Sassoon & Co.)が占めた。5階から10階がキャセイ・ホテル(華懋飯店)で、11階の最上階には、サッスーン財閥の総師、ヴィクター・サッスーンが自室を置いた。現在は後から和平飯店に併合された南楼を併せて、ともに上海の優秀近代建築として文化遺産の保護対象となっている。

和平飯店ロビー

外壁は花崗岩でできたアールデコ様式で、黄浦江側の正面玄関には回転ドアが備えられていた。ロビーには、イタリアから輸入した白大理石と装飾的な彫刻を施した青銅色のシャンデリアが下がっている。内部装飾にはルネ・ラリックの照明器具やガラス・パネルが使われているのが特徴である。壁に取り付けられた蜀台に照らされて、鏡に反射するラリックの額が飾られた廊下を抜けて宴会場に行くと、そこは壁一面が金色に輝く精巧な漆喰彫刻で飾られている。壁や梁の石膏装飾は、直線と繰り返される花模様などの渦巻き模様が連続して連なり、正にアールデコの典型を示している。グリルなどでは、今は実際には使われていないスチーム暖房機が、アールデコ様式の格子覆いの奥に、当時のままひっそりと隠れている。最上階にはレストラン・Bavarian Hutがあり、それに続くルーフトップからは黄浦江が一望できるので、野外パーティにも適している。1階にあったnight club・Ciro’s は廃止されたが、Horse & Haund Bar は、オールドジャズバーとして生き残っている。(現在全館改装中のため閉鎖)

和平飯店ロビー シャンデリア

最も印象深いのは、世界の9ヶ国風、即ち9つの違った国様式で飾られたスイートルーム9部屋である。ホテルには合計363室があり、北楼に260室、南楼に103室がある。9ヶ国スイートは、北楼の5,6,7階の東端に位置していて、全て外灘のよい眺望が楽しめる。それらは、中国、英国、米国、日本、フランス、イタリアなど9ヶ国の独特な建築様式で装飾された部屋である。

Cathay Hotel / Sassoon House は完成後またたく間に成功を博し、その時代の伝説的な建物となった。簡素ではあるが品のあるファサードは、頂の緑色の屋根と相まって、1930年代の上海の経済ブームを象徴するものとなった。

和平飯店ロビー天井

和平飯店は、過去に数多くの著名人を迎えてきた。前米国ブッシュ、クリントン両大統領、メキシコ大統領、ブラジル大統領などの政府要人、更には、コメディ王・チャーリー・チャップリン、フライング・タイガーの創設者・クレール・リー・チェノートなどである。

Sir Victor Sassoon は独身だったので、独身用のアパートを11階に作らせた。外灘に面した11階に、彼専用のバルコニーを見ることができる。彼の事務所は英国紳士に相応しく、渋いこげ茶色の樫の木のパネルで覆われ、チューダー朝様式の暖炉が備えられていた。彼が大規模なパーテイを催す場合は、虹橋のカントリーハウスを使ったが、時には彼のアパートで小規模の会合や宴会を開くこともあった。その際は、料理は下層階のキッチンから運ばれた。現在でもその運搬設備は残っている。

和平飯店レイアウト

従来我々が目にしていた和平飯店北楼のロビーは、完成当時の半分以下のスペースでしかない。元来のロビーは、A字形の敷地の真中にあるエレベーターの先の、外灘側の本来の入り口までを占有していたのだ。今回の改築工事で、1階を占拠していたテナントを何処まで追い出し、当初の設計を復元できるのか、大いに期待したいと思っている。

Sassoon 物語

和平飯店(旧Cathey Hotel & Sassoon House)を建設したSassoon 一族と、その物語の中心・Sir Victor Sassoon とは、どんな人物だったのか。先ずは以下の一族の簡略化した系図を見て頂きたい。

Sassoon家の系図
David Sassoon

サッスーン一族の歴史を辿れば、David Sassoon (1792~1864)が始まりである。元来サッスーン一族は、イベリア半島に起源を持つユダヤ人・セファーデイ(Sephardi)であった。一族はバクダットの経済界で名を知られた存在であったが、現代にも通じる人種差別により時の総督に町を追われた結果、インドへの移住を決意する。

1833年David Sassoonはボンベイで貿易会社・Sassoon Company を興し、綿花と阿片を二大柱として1,2世代の間にインド一の商業経済帝国を築き上げた。Sassoon一族はインド一の富豪となったのだ。

1844年David は香港支社を設け、その2年後阿片貿易に参入するため、上海支店を設置した。彼は中国に阿片と英国産綿布を輸出し、代りに絹、お茶、銀を輸入した。こうして中国で消費される高質の阿片の1/5は、正にサッスーンが手配する船舶で運ばれることとなった。

David Sassoon’s Family

やがて多くのセファーデイが、同じ成功を求めて上海にやってきた。Kadoories や Hardoons は先輩格のSassoon Company で働いた後に各々独立して、上海の三大ユダヤ財閥を形成していった。

David Sassoonが亡くなると、彼の長男・Abdullah Sassoon(1818~1896) がサッスーンの歴史を引き継ぎ、中国における一族の事業を引き継いだ。一方次男のElias Sassoon(1820~1880) は、ボンベイにNew Sassoon Company を興した。

20世紀初頭、上海におけるOld Sassoon Company の業績は悪化し、New Sassoon Company にとって代わられた。

Jacob Sassoon

現在陝西北路500号にあるRachel Synagogue (上海市教育局構内)は、New Sassoon Company の第3世代、Sir Jacob Sassoon によって妻・Rachelを記念して建てられた。Jacob Sassoon はボンベイにMagen David Synagogue を寄進し、小学校・Sir Jacob Sassoon Free High School を建てた。David Sassoon が年香港に最初の支店を設けると、Jacob Sassoon は彼の母親・Leah Sassoon を記念して現存するアジア最古のシナゴグ・Ohel Leah Synagogue を建設した。

(和平飯店とSir Victor Sassoon・その2に続く)

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