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興国賓館一号館、Batterfield & Swire House

第24回 2009年04月

玄関ポーチ江蘇路と華山路の交差点に建つ興国賓館は、北側正面に5星の Radisson Hotelの優雅な建物がみえる。華山路側の入口を入ると中は広い中庭で、よく手入れされた芝生の庭と、緑豊かな庭園が6軒の邸宅を囲んでいる。Radisson Hotelと反対の南側の小径を進むと、中庭を挟んでホテルと対峙する形で建つ一号館にたどり着く。ここは、Hazelwood と呼ばれたButterfield & Swire 総支配人の住宅で、上海の英国古典様式住宅の典型であった。

興国路から入ると、屋根付きの地味な玄関に辿りつくが、Hazelwoodは本来南の庭側から入るように設計されていたのだ。広大な芝生の庭と広い正面ファサードを持つ2階建ての建物は、柱の付いたベランダを伴って、英国人建築家 Clough Williams-Ellis の設計した堂々とした大英帝国古典様式の建物に、アメリカ南北戦争以前の邸宅の風情を与えている。

全景庭に面した1階のベランダは中庭(パテイオ)に続いていて、そこは月光を浴びてダンスを楽しむために創られていた。銅葺きの屋根には5個の屋根窓がポッカリと空き、その屋根は時代を経て緑青でライム・グリーンに変色し、両端には汽船の煙突のように2本の煙突がつき出ている。

1842年、南京条約により中国沿岸の貿易港が解放された時、弟 William Hudson Swire と共に父親からこの商社を引き継いだJohn Samuel Swire は、新たに開かれた中国貿易に関心を強めていた。更に1861年に始まった米国市民戦争は、英国商社、John Swire & Sons の綿花貿易を窮地に陥れた。そこで、Swire のかっての顧客で、英国の毛糸とウーステッド・メーカーのRichard Butterfield と提携し、上海に1866年12月、Butterfield & Swire が設立された。この商社名は1971年まで存続したが、実は、提携はたった2年しか続かなかった。

南面Swire 帝国は中国では“太古”として知られている。アジアで開花し、発展して揚子江汽船を運営、中国沿岸で中国産大豆(肥料)を独占的に扱い、銀行・保険の代理店業を行い、1880年代の一時期独自の紙幣まで発行し、精糖工場を運営した。上海では今も“太古”ブランドの砂糖は有名である。Swireグループは今も香港を中心に大きな経済基盤を築いており、不動産事業の他にキャセイ航空や提携先のドラゴン航空は、同じグループの一員である。

当時の頭首George Swire がその邸宅の建築を注文したのは、実は競争心、負けん気からだったのだ。彼はライバルの貿易商・ジャデイーン・マセスンが、頭首のHenry Keswickのために虹橋に豪勢な邸宅を建てたと聞いて、競争心を燃やした。しかしスワイヤー氏自身はずっとロンドンを棲家としていて、この家に住む気はなかった。彼はこの邸宅が完成した際、その式典のために上海にやって来ただけで、それ以後上海には戻らなかった。

玄関ホール天井二つの強力な洋行(外国商社)間の競合は、儲けの多い中国沿岸貿易の覇権を賭けて、各々の首領にまで及んでいたのだ。

Butterfield & Swire は、偉大な栄光ある名前に相応しいビルを外灘に持っていた。それは今も旧フランス突堤に残っている。1892年までにJohn Swires & Sons は Bubbling Well Road(現南京西路)に中国家具で満たした一軒の家を購入し、そこをHazelwood と呼んだ。1930年代彼らがその不動産を当時の最高値で売却した時、Hazelwoodの名前と家具はすべて新しい住宅へ移された。その住宅は、旧フランス租界の西端の境界となる興国賓館の土地に建てられた。

玄関廊下英国ウェールス人建築家、Clough Williams-Ellis はHazelwood の設計を依頼され、それを遠隔操作で設計した。彼は上海を一度も訪れなかった。彼は邸宅全体を英国で設計したが、彼自身一度も実物を見ていない。それは前例のない、困難な仕事であった。なげし上部の繰型や、柱頭、コルニス(壁と天井の境目を飾る蛇腹の装飾)、建物や柱の礎盤、壁、その他建築上の詳細のすべてについて、石膏の塑型を作って送ったのだ。現場ではそれに基づいて忠実に建築し、更に出来上がった部分の写真に撮って、毎月の進捗状況報告書と共に、Williams-Ellisに送り返してきた。

玄関廊下彼は、施工主・Butterfield & Swire の注文により、大英帝国古典様式で設計することとした。しかし同時に、上海という建築現場を考慮して、許された範囲で多少の中国的な意匠を組み込んだ。それは、内装の一部や階段の鉄製の手すり、シャンデリア、壁から突き出した腕木状の電灯受けなどで、こっそりと18世紀欧州で流行した中国風装飾・シノワズリ(18世紀ヨーロッパで流行した中国風装飾)が加えられている。事実、玄関ホールに下がっている目を見張るほど素敵なシャンデリアは、中国提灯を思わせる。Williams-Ellis 自身が設計した階段手すりの鉄製飾りは、1930年台の貨幣制度変更まで使われていた中国銅貨を彷彿させる。漆喰による装飾は、柱頭、のき、基礎構造、壁、その他あらゆる種類の建築上の細部にまで使われており、また基本どおりに忠実に作られている。

1階居間これらシノワズリ的な部分を除くと、ここは完全な英国殖民地様式の大班邸宅そのもので、最初にここに住んだ Butterfield & Swireの大班、Neilage Sharp Brown のような贅沢な生活習慣の者に相応しく作られている。パーティの際は、かつては正面玄関前にあった応接間に通じるドアが開け放たれ、来客は応接間とパテイオを自由に行き来した。現在応接間は仕切られて、幾つかの寝室に分けられている。正餐はくすんだ緑色のダイニングルームで供された。そこには中国製のルイ18世風の複製家具と、Swire が初代の Hazelwood の屋敷から持ち込んだ中国骨董家具が置かれていた。食後の飲み物は、多分薄黄色のサロンでふるまわれたことであろう。2階は、窓にビロードに似たフラシ天の黄色のカーテンが下がった廊下を抜けると、廊下の外れに大班の寝室、その反対側に育児室、その間に予備室とリネン収納室が並んでいた。後者の2室は現在寝室に改造され、明り取りの屋根窓を備えた魅力的な屋根裏部屋となっている。

興国賓館の構内には、この他にアールデコからチューダー朝風までの様式の異なる5軒の邸宅があり、それらは同じくSwire の上級幹部の住宅となっていた。

1階居間Hazelwood は土地の者には“アイスクリーム・ハウス”として知られていた。Swire はアイスクリーム業を手がけたことがないので、奇妙な名称であった。その秘密は、1930年代、Hazelwood Ice cream は大変ポピュラーなブランドで、外国人駐在員には良く知られていた。たまたま建物が同じ名前だったことから、アイスクリーム・ハウスと呼ばれたのだ。付け加えるなら、Hazelwood Ice cream はHenningsens 海寧洋行の商品ブランドで、海寧洋行は当時南京路でチョコレートショップを経営していた。

室内円柱彫刻Swire との関係で言えば、Henningsens はコカコーラの香港でのフランチャイズ権を獲得したが、1967年にそれを Swire に売り渡した。そのことから Swire は、今では全中国のコカコーラのビン詰め業者として不動の地位を築いている。

Hazelwoodは1952年まで Butterfield & Swire の大班邸宅として使われたが、その後上海医科大学に賃貸され、更に政府の国賓館となった。毛沢東のお気に入りでもあったと言う。

1階会議室70年後の今日、覇権を争った2つの商社のうち、Jardine は敗れ、Henry Keswick の紅橋の豪華な豪邸は跡形なく失われた。一方Swire は勝ち残り、George Swireが住むつもりもなく建設し建物は、今も興国賓館の一角に優美な姿を留めている。つい先ごろまで、Radisson Plaza Hotel が満員のなど際に、旅行社の添乗員などが泊められたこともあったのだ。現在は改装工事が終了し、往年のエレガントなヴィラに生まれ変わった。

2階廊下なお1号館の設計者・Bertram Clough Williams-Ellis は、環境保全の先駆者として Sirの称号を送られた。彼は英国・北ウエールズの半島にポートメイリオン(Portmeirion) と呼ばれる独特な美しい自然保護村の設計に力を注ぎ、そこは多くのテレビドラマの舞台ともなった。そこで作られる各種の土地の花をモチーフとした愛らしい陶磁器は、多くの英国人にPortmeirion China の名で親しまれている。

1階テラス興国賓館は総面積105,600平米の敷地に広々とした芝生の庭や巨木の森を供え、正に都会のオアシスと言って過言ではない。上海では何故か余りその魅力が知られていないが、明るい吹き抜けの典雅なロビーを持つ極めて上品な新館・Radisson Plaza Hotel に加えて、魅力あるクラッシックヴィラ・1号館が復活した。こうしたホテルに泊まり優雅な至福のときを過すのは、上海でもここでしか許されない最高の贅沢であろう。新しい設備を駆使して人民広場にできた同じチェーンの5星Radisson新世界も、興国賓館の魅力にはとても及ばないと私には思えるのだ。

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