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浪人時代のワーグナー

第12回 2011年4月

実は、ある時期一年間、となりの県に通っていたことがある。
仙台から山形まで。仙山線で。
山形大学は最初の一年、山形市内の教養部。
その後は、工学部は米沢、農学部は鶴岡というようにキャンパスが変わる。
私は、米沢へ引っ越すまでの一年間は山形市内へ通えると考えた。
意外なことに数人が同じく仙台から山形へ通学していた同士がいて、
自然と仲良くなり「山形に通う会」のようなものに発展したと記憶している。
ただ、この会は何をするというわけではなく、電車でたまたま乗り合わせると話をするぐらいの会だったと思う。
大きな活動としては秋に一度、奥新川渓谷というところで芋煮会をしたことぐらいか。

その会の中に翌年違う大学を受験しようとしていたのが私を含めて三人いた。
私の場合、苦労してやっと入学できたのに翌年再受験するとは、
正気の沙汰ではない思い上がりなのだが、
残り2人は、山形に通いながら医学部を目指していた。
最終的に、一人は秋田大学の医学部へ合格した。
彼は母子家庭だった。親孝行をしたかったのではないかと思う。
それとは、全く反対で親不孝のしっぱなしの私は、全く持って恥ずかしい限りなのだが、能力もないくせに再受験して、地元の難関大学に入りなおす。などと考えていた。
密かに受験料を払い共通一次試験を受けた。
二次試験は、地元の難関大学と宮城教育大学を受けた。
結果的に後者には合格し、地元だからという理由だけで、山形大学を退学して
宮城教育大学へ入学した。
しかし、そもそもの動機が不純だから、大学に行く気がしないのである。

時間を持て余した私は、バイトをした。バイトが面白くてしょうがないのである。
それもそのはずで何年も抑制された自宅浪人をしてきた身には、なおさらである。
私が通っていた高校は県内有数の進学校だった。
だから優秀なのがたくさんいて、東大、東北大、に現役入学するのもいる一方、
二浪、三浪してでも行きたい大学の行きたい学部に行くという豪傑も多かったように思う。そのようなバンカラな校風が好きだった。

そんな私も、自宅浪人しているある時、勉強方針を変えた。
朝型にしたのである。四時に起きて朝食まで勉強。これが効果あった。
テキストもごく普通の物に変えた。
基本が大事。このことにやっと気が付いたのである。
基本もできないやつに難問が解けるわけないわけで、今思うとまっとうな方針変更である。

その前年、すなわち山形大学に合格した年、
地元の予備校で受験できるということで山梨県立都留文科大学を受けた。
都留文科大学は文系の単科大だ。
受験したのは国文学科で試験科目は国語と英語と小論文か何かのような気がするが定かではない。
朝方にして基本を重視した甲斐もあり、都留文の二次試験のときが一番よくできた。
国文学科の二次試験が一番よくできるというのは、
それまで理系を自負していた自分にとっては、実に皮肉な結果となった。
ようするに文系、理系に関係なく基本ができていなかっただけなのだ。

その浪人時代、朝方に切り替える前は、夜型というか、受験生が、
みなそうであるように
深夜型で、徹夜しているだけで勉強した気になっていた。
した気になっているだけで実は何も身についていなかったのは、浪人時代が何年も続いたことが証明している。
その夜型時代は勉強しながら音楽を聴いたりラジオを聴いたりする
いわゆる「ながら勉強」をしていた。
そのときからワーグナーの楽劇を通して聴くようになった。
夏に行われるバイロイト音楽祭はその年の年末に夜九時から深夜までNHK-FMから
一週間連続で放送される。
指輪は4日間、パルシファル1日、マイスタージンガー2日、トリスタンとイゾルデ1日といった具合に。
おそらくいまもそうであると思うが日本を離れて七年経過した今、定かではない。

私の中学生時代はワーグナーが特に好きだったというわけではなく、
前にも書いたがこのころはベートーベンやモーツアルトが好きだった。
ワーグナーは、有名な前奏曲は別として、楽劇全幕ともなると、
日曜日のオペラアワーという番組でごくまれに放送される程度の扱いだった。
中学生になると「試験で成績が何番以内になったら、お前の好きなレコードを買ってやってもよい。だから勉強しろ」と親からけしかけられて、レコードを集めていたことがある。
その中でも前奏曲集(EMIカラヤン版)のレコードが唯一のワーグナーのレコードだった。

今のようにワーグナーの指輪の全集が数千円で手に入る時代ではない。
マレクヤノフスキーがPCM録音でコロムビアから全集を出したとき、
レコード屋にはクラシック音楽レコードの新譜の広告用ポスターがあった。
そういう時代である。
一枚2500円で十六枚組だから四万円である。

その年末のバイロイト音楽祭の放送は、幕ごとに解説が入り分けて放送される。
カセットテープに録音していく途中で交換したり裏返しをしなければならない、
結局このタイミングが気になったり、音楽が気になったり、テープのインデックスを書いたりしているから勉強は身にならない。
放送が終わると、気分転換などと言い訳をしながら、
ツーリングに行きたいな、などと日本道路地図などを眺めている。
これに飽きると、汽車旅もいいな、
などと言いながら、時刻表を眺めている。
これでは勉強など二の次で、
まったくもって親不孝である。
しかしながら、この無駄とも思えるこの時間があり、何かの縁で今の音響の仕事に就けていると思うと実に不思議でならない。だから今は、遠回りしたとは思わない。
そのワーグナーの「指輪」の生は、
横浜だったか、バレンボイムの指揮で「ワルキューレ」を一度看たきりだったのだが
昨年、中国のお月見の連休にドイツから「指輪」の公演が上海に来た。
それも2チクルスやるという。
私は迷わず切符を2チクルス求めた。
八日間にわたり楽劇に浸ることができる。
正にどっぷりとだ。
満席に近い入りだった。

最初、聴衆が演奏途中で写真を取ったりしないか、お菓子を食べたりしないか気になっていたが、拍手のタイミング、カーテンコールのタイミングなど総じて指輪を深く理解している感じがした。いや明白だった。
中国の古典音楽ファンに失礼かもしれないが以外だった。
何しろ演目が「指輪」である。
よく言われるようにワーグナーの毒にやられた人間のみが、理解、感動できる音楽である。
演奏時間休憩を入れて6時から11時まで、これが四夜連続である。長い。
上海にも既にワグネリアンがいて、今後もワーグナーのファンが増えていくのだろう。

それにしても中国のワーグナーファンは恵まれていると思う。
いつでもワーグナーのCD DVDなどの正規版が求めやすい値段で手に入るからだ。
音響装置もそうである。

と思う一方、
レコードが垂涎の的だった時代、
その後の自宅浪人生だった25年前、
私にとってラジオ放送のワーグナーとは何だったのだろう?

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