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音響20年

第11回 2011年4月

私事で恐縮だが、実は、この4月で入社して丸二十年となった。
当時の厚生年金カードを見てみると4月3日入社と書いてある。
新卒なら1日入社となるのだが、
XZ大学を中退しての中途入社だったため3日入社となったのだ。
当時、宮城教育大学の学生だった私は、密かに仕事を探していた。
家庭の経済環境が悪くてというのは言い訳で、要するに勉強ができなかったのだ。
学校にもろくすっぽいかず、東北大の友人とバイトに明け暮れていた。
このままこの状態を先送りしていると大変なことになる。とうすうす思いながら、
時間が過ぎていく。私は正直あせっていた。
このどうしようもない状況を両親は、黙認してくれていた。
いまさらながらこの黙認行動は実に偉大だと思う。

ある日、河北新聞に載った求人広告に目が留まり、履歴書を出した。
その会社が現在のD&MHoldingsの前進である日本マランツだった。
ほどなくして、仙台営業所の所長から電話が来て、面接をするので来て欲しい。とのこと。
面接住所は、東方大片平キャンパスの近くどこかのホテルのなかの会議室だったように思う。背広を着てネクタイを締めて生まれて初めての入社面接だ。
予定されている時間より一時間も早く車で片平キャンパスの駐車場へ行った。
こういう重要なとき、予定時間よりかなり前にその場所に到達して、
遅刻しないようにする習性が私にはある。
駐車場に車を止めて車の中で考えていた。
その時、いまさらながら、面接に行こうか,行くまいか、迷い始めた。
というか、逃げたくなってきたのではないかと思う。

しかし逃げ出さなかった。やはり面接に臨み前進しようと考えた。
ここで逃げたら、現状打破は永遠にできないだろう。と。
車を降りた私は、面接に向かった。
今、思えば、面接に行なかったことを考えると心底ぞっとするのだが、
正にこのときが運命の分かれ道だった。
面接会場に着くと、
新任の通信機営業所長と通信機直販営業所長の二所長が座っており、
「今募集しているのは、通信機営業と通信機直販営業、そしてマランツブランド営業である。」
「貴殿は、何か希望があるか?通信機直販はどうか?やってみる気はないか?」と。
私は考えて
「音響の営業を強く希望します。」
と答えた。
その後、東京恵比寿の国内営業本部で二次面接を受けて、入社が決まった。

入社して分かったのは、この1991年度から専売制となったことだった。
専売制というのは、すなわち、扱いブランドで販売部を縦割りにすることで、
通信機、音響はもちろん、マランツ、フィリップスブランドも
販売部を分けるという。
「よって貴方の上司はここ仙台にはいない。東京のマランツ販売部本部長が兼務する。」
と面接してくれた通信機の営業所長から言われた。
なんと新入社員が東北地方を一人で担当することになったのだが、
おかげで営業としてはこのとき鍛えられたと思う。
何しろ、すべての行動計画を自分で作り実行し予算をやらねばならない。
もちろん、通信機の先輩からもいろいろなことを教わったのだが、一番世話になったのは、6月に大阪から異動してきたフィリップス販売部の先輩だった。
当時は、商品もマランツブランドとかなりかぶっており、販路が一緒だったので、
営業の基礎から損益管理まで親切に教えてくれた。
それ以降、会社は通信機、フィリップスを切り離すなど大きな変化が幾度となくあったのだが、私自身はというと音響営業であるマランツ販売部に所属したままであった。
仙台の後、東京、広島と異動になった。
広島時代にマランツはデノンと合併した。
その後2004年に中国に異動となり、立ち上げたばかりのマランツブランドの中国販社の手伝いに始まり現在に至るまで中国でも音響の仕事に携わっている。
この間もいろいろな方に大変世話になった。
特に赴任先である上海販社の総経理には、頭が上がらない。
中国に異動になったばかりで言葉も通じず、右も左も分からない中、
資金繰りに始まり人事、法律、財務、貿易、物流、ローカルのコントロール等、
一から十まで経営の基本を教わった。
これらは、一言で言うと会社経営そのものであり、国内時代の営業所運営では
絶対に経験できないことだ。
これは、大きかった。
その後も2007年のデノン、マランツ両ブランド合併のための新販社設立
という大仕事が回ってくる。
ここでも
地方政府の役人の紹介に始まり、
会社登記、スタッフの合法的異動、一般納税人申請、ERP導入、補導期をなんとかクリア。激動の開業初年度は年度監査までこぎつけることができた。
その後三期とも順調に売り上げ、利益とも大幅に拡大、
そして今日現在もすべての指標において順調に推移している。
この間も中国の方にたくさんのアドバイス、そして骨を折っていただいた。
このときに学べたことも計り知れない。感謝である。

少し話が私的過ぎた。

繰り返しになるが片平キャンパスの駐車場の片隅だった。
目の前の恐怖から逃げようとしていた自分が間違いなくいた。
現実逃避と中途半端にケリをつけようと、一歩前進したあの瞬間から二十年。
この二十年間、音響の仕事に携われたことに感謝している。

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